コラム
2020.08.11
<ありがとう 田畑精一さん>戦争体験と平和への強い思い『さくら』
これまで、『おしいれのぼうけん』、紙芝居『かにむかし』と、田畑精一さんの童心社でのお仕事をご紹介してきました。
今日ご紹介するのは、2013年、田畑さんが81歳のときの絵本『さくら』です。
田畑精一さんが生まれたのは、1931年。
『さくら』では、田畑さんの少年時代が描かれています。
「さくらの 花さく 3月の、
おひさま いっぱいの 朝はやく、
ぼくは このよに 生まれたんだ。
『こんにちは、おかあさん!』」
みんなの祝福を受け、この世に誕生した「ぼく」。
1931年は、日本と中国との間に戦争がはじまった年でもありました。
やがて「ぼく」は小学生になって……。
『さくら』の刊行時の田畑精一さんの言葉をご紹介します。※
「春は新しい‟いのち”の季節です。
春の到来を祝福していろんな花が咲きだします。まず端正な梅の花、つづいてひな祭の桃、真白でとても立派なこぶしの花。
どの花もそれぞれに美しいけれど、でもやっぱり春の主役は桜です。桜の花が咲かないと、春はまだほんとの春ではないのです。
いにしえの王朝の華人も、こんな歌をうたいました。
『世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』
時代をさらにさかのぼってまだ神さまがいたる所におられたころ、桜の花は神さまのお使いでした。
みのりの秋の豊穣をみんなに早く知らせようと、いっぱいの花を咲かせたのです。
桜の花と私たち、太古の昔から今日までお互いに大好きな、愛しい間柄でした。ですから桜の花の散るのはさびしかったし、一層美しかった。
『ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ』
桜の花は最後まで、私たちの心の中に優しさを残していってくれたのでした。
しかし、そんな桜の散る美しさを逆手にとって、散々酷いことをした時代がありました。他でもないこの前の‟アジア太平洋戦争”でのことです。
戦争を推し進める人たちは権力を背景に、あらゆる文化を戦争協力、戦争賛美に向かわせたのです。反対すれば投獄と拷問が待っていました。演劇・映画・美術・音楽・文学・放送・新聞、もちろん子どもの本も例外ではありません。
やがていっぱいの軍歌が街にあふれました。その軍歌の中に桜の花がたくさん使われたのです。有名な海軍兵学校の歌はこんなでした。
『貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため』
こうして大勢の若者が、戦場で無残に死にました。桜の花にはどうしようもないことでしたが、耐えがたい思いが胸を引き裂いたまま残ったのでした。
日本と中国と韓国、三か国の絵本作家が協力して平和の絵本を出版することを決めた時、ぼくはこの桜の美しさ優しさとともに、悔しさを絵本にしたいと思いました。
戦争の中で育ったぼくの人生と苦しかった桜の運命を重ね合わせて、絵本『さくら』が生まれました。絵本が出版された日、街に満開の桜の花が風にゆられながら咲いていました。」
『さくら』の最後、桜の木が田畑さんに65年前を思い出しながらこう語りかけます。
「戦争は いかん!
戦争だけは ぜったいに いかん!」
この言葉は、戦争を身をもって体験した田畑精一さん自身の、心からの言葉ではないでしょうか。
田畑さんは、戦争のない未来のため、子どもたちに希望を託し、子どもたちのための作品を、そしてこの『さくら』を創りました。
戦争を経験していない世代が増えていく中で、大切に守り伝えたい、田畑精一さんからのメッセージです。
※童心社定期刊行物「母のひろば」587号(2013年4月15日)より
日本・中国・韓国の絵本作家が手をつなぎ子どもたちにおくる「日・中・韓 平和絵本」シリーズ
『さくら』
(田畑精一 作)
田畑精一さん 童心社作品リスト
https://www.doshinsha.co.jp/news/detail.php?id=2033
今日ご紹介するのは、2013年、田畑さんが81歳のときの絵本『さくら』です。
田畑精一さんが生まれたのは、1931年。
『さくら』では、田畑さんの少年時代が描かれています。
「さくらの 花さく 3月の、
おひさま いっぱいの 朝はやく、
ぼくは このよに 生まれたんだ。
『こんにちは、おかあさん!』」
みんなの祝福を受け、この世に誕生した「ぼく」。
1931年は、日本と中国との間に戦争がはじまった年でもありました。
やがて「ぼく」は小学生になって……。
『さくら』の刊行時の田畑精一さんの言葉をご紹介します。※
「春は新しい‟いのち”の季節です。
春の到来を祝福していろんな花が咲きだします。まず端正な梅の花、つづいてひな祭の桃、真白でとても立派なこぶしの花。
どの花もそれぞれに美しいけれど、でもやっぱり春の主役は桜です。桜の花が咲かないと、春はまだほんとの春ではないのです。
いにしえの王朝の華人も、こんな歌をうたいました。
『世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』
時代をさらにさかのぼってまだ神さまがいたる所におられたころ、桜の花は神さまのお使いでした。
みのりの秋の豊穣をみんなに早く知らせようと、いっぱいの花を咲かせたのです。
桜の花と私たち、太古の昔から今日までお互いに大好きな、愛しい間柄でした。ですから桜の花の散るのはさびしかったし、一層美しかった。
『ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ』
桜の花は最後まで、私たちの心の中に優しさを残していってくれたのでした。
しかし、そんな桜の散る美しさを逆手にとって、散々酷いことをした時代がありました。他でもないこの前の‟アジア太平洋戦争”でのことです。
戦争を推し進める人たちは権力を背景に、あらゆる文化を戦争協力、戦争賛美に向かわせたのです。反対すれば投獄と拷問が待っていました。演劇・映画・美術・音楽・文学・放送・新聞、もちろん子どもの本も例外ではありません。
やがていっぱいの軍歌が街にあふれました。その軍歌の中に桜の花がたくさん使われたのです。有名な海軍兵学校の歌はこんなでした。
『貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため』
こうして大勢の若者が、戦場で無残に死にました。桜の花にはどうしようもないことでしたが、耐えがたい思いが胸を引き裂いたまま残ったのでした。
日本と中国と韓国、三か国の絵本作家が協力して平和の絵本を出版することを決めた時、ぼくはこの桜の美しさ優しさとともに、悔しさを絵本にしたいと思いました。
戦争の中で育ったぼくの人生と苦しかった桜の運命を重ね合わせて、絵本『さくら』が生まれました。絵本が出版された日、街に満開の桜の花が風にゆられながら咲いていました。」
『さくら』の最後、桜の木が田畑さんに65年前を思い出しながらこう語りかけます。
「戦争は いかん!
戦争だけは ぜったいに いかん!」
この言葉は、戦争を身をもって体験した田畑精一さん自身の、心からの言葉ではないでしょうか。
田畑さんは、戦争のない未来のため、子どもたちに希望を託し、子どもたちのための作品を、そしてこの『さくら』を創りました。
戦争を経験していない世代が増えていく中で、大切に守り伝えたい、田畑精一さんからのメッセージです。
※童心社定期刊行物「母のひろば」587号(2013年4月15日)より
日本・中国・韓国の絵本作家が手をつなぎ子どもたちにおくる「日・中・韓 平和絵本」シリーズ
『さくら』
(田畑精一 作)
田畑精一さん 童心社作品リスト
https://www.doshinsha.co.jp/news/detail.php?id=2033
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おしいれのぼうけん
お昼寝前に、ミニカーのとりっこでけんかをしたさとしとあきらは、先生に叱られておしいれに入れられてしまいます。そこで出会ったのは、地下の世界に住む恐ろしいねずみばあさんでした。
ふたりをやっつけようと、追いかけてくるねずみばあさん。でも、さとしとあきらは決してあきらめません。手をつないで走りつづけます―。80ページものボリュームがありながら、かけぬけるように展開するふたりの大冒険。1974年の刊行以来多くの子どもたちが夢中になり、版を重ねてきました。累計239万部を超えるロングセラー絵本。- 3歳~
- 1974年11月1日初版
- 定価1,540円 (本体1,400円+税10%)
- 立ち読み