2020.11.24

生まれてきてくれて、ありがとう ―あかちゃんと絵本『いないいないばあ』
正置友子先生(絵本学研究家・青山台文庫主宰)

『いないいないばあ』(*1)をあかちゃんたちと何回読んだでしょうか。わが子と、青山台文庫(*2)にきてくれる地域のあかちゃんたちと、そして孫と。多分、700回は読んでいるでしょう。子どもたちと読んだ絵本はたくさんありますが、その中でも一番回数多く読んできた絵本がこの絵本です。なぜでしょうか。
 それは、この絵本を読むことで、私があかちゃんたちに、「生まれてきてくれて、ありがとう」という気持ちと、「人生は厳しいけれど、生きる価値があるものですよ」ということを伝えられるからです。最初から、このような気持ちで、この絵本をあかちゃんたちと読んだわけではありませんでした。何度も何度も読んでいく過程で、あかちゃんたちがこの絵本を読んでもらう時に見せてくれる顔や身体の表情などから気がついたのです。そして、受け取る様子には変化はあるものの、3歳になっても、もういい、とは誰も言わないのです。

 まず、遊びの「いないいないばあ」について考えてみます。あかちゃんに向かって、おばあちゃんから小さいおにいちゃんまで、思わず「いないいない…ばあ」をします。最初は、怪訝な顔をしていたあかちゃんも、「ばあ」で大喜びをするようになります。その内に、声をたてて笑うようになります。
 アメリカの心理学者ジェローム・ブルーナー(1915-2016)は、あかちゃんと母親の六組を大学の研究室に二週間に一度の頻度で約10カ月招いて、親子で「いないいないばあ」を含む遊びをやってもらい、その結果を分析しています(*3)。最初は、母親主導で「いないいない…ばあ」をするわけですが、次第に子どもが主導権を取るようになり、自分で隠したり、隠れたりするようになり1歳3カ月にもなると、遊びをコントロールするのは、あかちゃんになるのだそうです。母親である私たちは自分の経験から分かっているのですが、研究の結果として発表されると、「いないいないばあ」遊びがどれほど大切な遊びかがわかります。
 とりわけ、おかあさん(母親でなくてもいのですが、便宜上そうしました)の場合、おあかさんが顔を隠すことは、あかちゃんにとって、大事な人がこの世から消えたことになり、泣きそうな顔になります。ブルーナーの実験でも、あかちゃんたちが待てる時間は2~7秒くらいで、1秒の子もいるそうです。あかちゃんたちは、生まれながらにして、自分が生きていくには、この人が大事なんだと分かっているということです。
 あかちゃんにとって、大切なおかあさんと一対一の関係で向かい合い遊べることのうれしさ、その人が消えてしまった時に味わう不安、その後におかあさんが「ばあ」とまた現れる、という一連のパターンを通して、おかあさんは消えることはあっても、絶対にそこにいるという安心感を抱くようになります。こうして、おかあさんへの信頼感を、遊びを通して、身体で学んでいきます。
 さらに、親子で「いないいないばあ」を続けていくと、変化が起こります。あかちゃんが、おとなに向かって、「いないいない」を仕掛けてくるのです。幼いながら、おかあさんが自分にやってくれたことを、自分の方が主導権をとって、おとなを遊びの世界に誘い込んでくるのです。遊びを盛り上げるために、みずからの想像力と創造力を発揮していく姿は、見事です。この力をあかちゃんの中から引き出しているのは、おかあさんとの安定した信頼関係にあります。生身で生きている人同士の関係性の中で、「わたし」の存在と「他者」(例えば、おかあさん)の存在を知ることにあります。わたしはこうしたい、こうありたいという自分の欲求を持つ一方、社会の中で他者と共に生きるために自分をコントロールすることを学んでいきます。まとめると、「いないいないばあ」遊びを通して、あかちゃんは自立し、自分のアイデンティティを獲得し、自分の人生の物語を形成し、歩き出していくことになるのです。

  「いないいないばあ」遊びがこのように素晴らしいなら、「いないいないばあ」絵本は不要ではないか、という人もいます。遊びの「いないいないばあ」と絵本の『いないいないばあ』との間には、大きな違いがあります。
 絵本『いないいないばあ』を読んでもらうのは、あかちゃんたちがはじめて人間の想像力、創造力が生み出し、人間の手が作り出した文化財であり、芸術作品に出会う時なのです。
 絵本『いないいないばあ』の中では、ねこ、くま、ねずみ、きつねが登場します。現実世界でねこに出会うことはありますが、ほかの生きものに出会うことはまれです。ましてや、こうした動物たちと向かい合って「いないいないばあ」をすることはないでしょう。くまとこの遊びをすることは、命に関わります。しかし、絵本の世界ではできます。絵本の世界は、想像の世界だからです。 
 自分の人生を、自分らしく、そして他者とともに、豊かに生きるには、想像の世界があることを知っていることが大事です。現実の世界だけで生きようとすると、幅の狭い貧しい生き方しかできず、生きていくことさえ難しくなるかもしれません。現実世界での経験は得難いものですが、すべての経験をすることはできません。絵本の世界では、現実には可能ではない体験、くまやきつねと遊ぶことも可能であり、地球上の遠く離れた人とも友だちになることができ、異文化の体験も可能です。絵本と主人公と共に、悲しみや絶望を乗り越えて生きる物語を体験することもできます。絵本などの芸術作品を通しての体験は、追体験ではないかと言う人もいますが、絵本の世界で生きることを通して、質的には本当の体験と同じ意味合いを持ち、子どもたちの中に想像の世界が形成されていきます。
 絵本『いないいないばあ』は、50年以上読み継がれ、絵本界の古典の仲間入りをしています。それは、この絵本のテーマが、あかちゃんたちにとって非常に大切なテーマを扱っているからと云えます。信頼を築くこと、信頼が崩れることがあるかもしれないこと、それでもまた信頼関係を築くことができるという希望があることです。生きていく上では、孤独になること、挫折することもあるかもしれません。でも、希望もありますよ、また出会いもありますよ、とこの絵本は教えてくれます。
 生きるということは、出会いと別れ(やむを得ないことも含めて)の連続です。ねこやくまやねずみやきつねに出会います。別れることはあっても、出会ったという事実は残ります。多様な人たちとの出会いが、その人を形成していきます。ここから物語も生まれていきます。
 絵本『いないいないばあ』は、あかちゃんがこれから生きていく人生の出発点にあたり、おとなから届けられるはじめての物語のプレゼントです。「生まれてきてくれて、ありがとう」と、「これからの人生、いろいろな出会いがあり、別れもありますよ。でも、元気に生きていってね」という気持ちを込めて、私はあかちゃんたちと読んでいます。
 スマホではなく、一冊の絵本という形態で、親子で読んでいただきたいです。読んでもらった絵本は、子どもにとっての「たからもの」であるばかりではなく、読んだおとなにとっても「たからもの」になります。その絵本を一緒に読んだ時のその場の情景や匂いと共に、双方にとっての、抱きしめたい思い出の「一生のたからもの」になります。

童心社定期刊行物「母のひろば」667号(2019.12)より




(*1)タイトルに「いないいないばあ」という言葉が入っている絵本は100冊以上ありますが、ここで注目している絵本は『いないいないばあ』(松谷みよ子・ぶん 瀬川康男・え 童心社刊)です。
(*2)青山台文庫は大阪の千里ニュータウンにある、子どもたちと本を結ぶ文庫です。1973年に開始し、今も行っています。まもなく50周年です。
(*3)ブルーナーは、“Peekaboo and the Learning of Rule Structure”という論文にまとめ、Play:its role in development and evolution(J.S.Bruner他編,New York:Basic Books.1976)掲載。未邦訳。


正置友子(まさきともこ/絵本学研究家・青山台文庫主宰)大阪・千里青山台団地で青山台文庫を開設。ローハンプトン大学大学院に留学し、ヴィクトリア時代の絵本研究で博士号を取得。著書に『メルロ=ポンティと<子どもと絵本>の現象学』(風間書房)などがある。
いないいないばあ

松谷みよ子 あかちゃんの本

いないいないばあ

松谷みよ子 ぶん/瀬川康男

日本の絵本ではじめて! 累計700万部を突破
1967年の刊行から、半世紀あまり。
2020年には日本の絵本で初めて700万部を突破し、現在735万部を超えるロングセラー絵本となっています。(※1)
世代を超えて読みつがれる、「人生で初めて出会う一冊」です。
※1…株式会社トーハン発行「ミリオンぶっく 2023」調べ

あかちゃんに語りかける言葉
あかちゃんと目があう絵

「いないいないばあ にゃあにゃが ほらほら いないいない……」
『いないいないばあ』の文章は、作者の松谷みよ子さんが子育ての中でわが子に語りかけていた言葉がもとになっています。

画家の瀬川康男さんは、あかちゃんと向き合い試作を重ねました。
「ばあ」の場面の動物たちは、あかちゃんと目があうように描かれています。

あかちゃんと一緒に読むと、言葉と絵がひとつになり、臨場感をもっておひざの上のあかちゃんに伝わります。

  • 0・1歳~
  • 1967年4月15日初版
  • 定価770円 (本体700円+税10%)
  • 立ち読み