2024.08.30

「雨ふる本屋」シリーズ著者日向理恵子さん イタリアの新聞La Repubblicaに紙面インタビューが掲載!

(La Repubblica 「ROBINSON」2024年7月14日号)



台湾、中国、韓国、ロシア、ベトナムなど、翻訳出版され海外での読者が大きく広がっている「雨ふる本屋」シリーズ。
先月 『雨ふる本屋』イタリア語版(mondadori 刊) の刊行にあわせて、イタリアの新聞La Repubblica の文芸日曜版「ROBINSON」の日本文学特集にて、著者・日向理恵子さんのインタビューが掲載されました。
取材にあたってのインタビューの内容をご紹介します。



『雨ふる本屋』イタリア語版(mondadori 刊) / 著者・日向理恵子さん





――本で作られた迷宮、別の世界につながる秘密の通路、ドードー、幽霊、妖精など、日向さんの多くの作品で、魔法や空想的な要素が登場します。物語にとって、魔法や空想的な要素はどのぐらい重要でしょうか? またなぜそれを使用するのでしょうか?



 ファンタジーの力は、現実世界を引っくり返してみせることで、人生や世界そのものの意味を問い直すことにあると思っています。しかし、ファンタジー作品に登場する舞台やモチーフのほとんどが、アジアとは違う文化から生まれたものです。優れたファンタジー作品を読むときに、日本に生活している現実の自分の身体、文化、言語のルールなどを一旦わきに置かなくては没入できないことが、いつもさびしく、引っかかっていました。 もちろん、現実の自分とは違う誰かになりきって読むというのは、読書の大きな楽しみのひとつです。しかし、もっと自然に、自分のままで入り込める物語が増えたらどうなるのだろう? ファンタジーの持つ普遍性の世界に、もっといろんな人が自分のルーツをそのまま持ち込んで遊び、問うことができないか? ということをずっと考えています。ファンタジーはそのための装置のはずですから。


――この本は読書の喜びだけでなく、夢の力と想像力の強さへの賛歌でもあります。日向さんにインスピレーションを与えた、またはモデルにした作家はいらっしゃいますか?



 読書と想像力を結びつけることを、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』から学びました。ただ書いてある文字を読むだけでなく、どんな音がするのか、どんな声で話しているのか、手ざわりやにおいは、奥行きは……と想像力を駆使して読むのだと教わりました。エンデの作品を十代のころからずっと読み続け、読み返しています。もっとも強く影響を受けた作家の一人です。


――日向さんの著作では、アニメにもなっている「火狩りの王」シリーズ(ほるぷ出版)が有名です。「火狩りの王」の主人公たちは、人類最終戦争後の荒廃した世界で、黒い森に棲む獣である炎魔の森に迷い込みます。「火狩りの王」シリーズに関するこのアイデアはどのようにして生まれたのですか?



 『火狩りの王』は、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んだ衝撃で書きました。企業が海に捨てたメチル水銀によって起きた水俣病をめぐり、破壊された人々と海と土地に、詩人が深く憑依して書かれた作品です。この問題はいまだ完全に解決されていません。自分が一体どういう国に住んでいるのか、この社会はどうなっているのか、人間とはどういう存在なのか、なぜ大きな惨事からこのような美しい文学が生まれたのか、自分も誰かを踏みにじることで生きているのではないのか? わからないことだらけで、それを書いてみずにはいられなくなって書きました。 また、『雨ふる本屋』では水がモチーフだったので、つぎの作品では火をモチーフにしてみたかったのです。水とは真逆の性質の自然物として火に取り組みはじめましたが、火は人類のエネルギーであり、それは日々自分が恩恵を受けつつ誰かに犠牲を強いている罪そのものでもあり……と、知れば知るほど考えねばならないことが増えてゆきました。


――日向さんの本に森が登場するのには特別な理由はありますか? 『雨ふる本屋』もアニメ化されるのでしょうか?



 幼少期に、神社の鎮守の森で日が暮れるまで遊んでいました。とても小さな森ですが、自分の遊んでいる場所と、グリム童話などに出てくる深い森がふいにつながるのではないかとよく空想していましたので、森がインスピレーションの入口になっています。 『雨ふる本屋』のアニメ化に関してはまだわかりませんが、いつか実現することを願っています。「表現するとはどういうことなのか?」を問うていった作品なので、小説とは違う形で表現される方に、この世界に取り組んでもらうことが叶ったら素敵だろうなと思います。


――「火狩りの王」では火が重要な要素でしたが、『雨ふる本屋』では本が生まれる水や雨が登場します。生命にとって不可欠なこれらの自然要素を本に焦点を当てているのには、特別な理由がありますか?



 雨が好きです。実際に降る雨も好きですし、「雨」という漢字も好きです。自分の好きなモチーフに意味づけをしていった結果、雨から本が生まれることになりました。雨の天気は嫌われがちですが、ファンタジーとして意味を新たに膨らませていったら、どうなるのだろう? そう思って、自由に書いてゆきました。日本語では、書籍の文字は上から下へと書かれています。ちょうど雨の降るむきと同じです。書きながら、視覚的にも面白い効果を作れるのではないか、と思い、いろんな遊びを膨らませました。これまで翻訳された中では、台湾版も上から下へ文字が印刷される形式です。雨が降っているのと似ているな、と感じながら読んでもらえていたら嬉しいです。


――『雨ふる本屋』の後半に、フルホン氏が言う、とても美しい一文があります。

「本というのは、たましいをこめて書かれるかぎり、すべてが『すごい本』なのだ。それを感じとることができるかどうかは、読み手の質にかかっているがね」(『雨ふる本屋』P219)

ここには本や読書についての日向さんの考え方を反映されているのでしょうか?



 そう思います。「読み手の質」というと言葉がきついかもしれないのですが、例えば子どものときに読んだか、大人になってから読んだかで、同じ本からでも受け取るものは変わるはずです。健康なときに読んだか、病気やけがをしているときに読んだか。晴れた日に読んだか、雨の日に読んだか。季節はいつだったか。この本から何かを受け取ろうと思って読んだか、暇つぶしに読んだか。読み手のコンディションによって、同じ本でもその豊かさは変わると思うのです。自分には合わなかった、面白いと感じられなかった本からでさえ、学ぶことはできます。小説に限らず、創作物に触れるということは、受け取り手が何かを継承してしまうという行為だと思っています。「なんてつまらない作品だ」と怒ったとしても、怒りのエネルギーという形で、その人は作品を受け継いでしまうのです。とてもスリリングで、面白いことだと思います。しかし、ただ心を込めただけでは、読み手へ届けることはできません。技術やつづける力に関してはとても難しいことで、たぶんわたしには一生とりくんでも正解にたどり着けないのではないかと思います。そのあたりについては、5巻にあたる『雨ふる本屋と雨かんむりの花』に書きました。


――子どもの頃は、どんな本を読んでいましたか?



 いちばん古い記憶にあるのは、カルロ・コローディの『ピノキオ』です。祖父母の家へ遊びに行くたび、祖父が膝に座らせて、読み聞かせてくれました。ジェペットじいさんの仕事場のにおいや、ピノキオの足音、彼らの衣服の質感まで、記憶に深く染みついています。 ほかにはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』、トーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズや、アーシュラ・K・ル=グウィンの「アースシー」シリーズ、池田あきこさんの「猫のダヤン」の絵本シリーズや寺村輝夫さんの「わかったさん」シリーズ、矢玉四郎さんの「はれときどきぶた」を読みながら育ちました。人生の陰に焦点が当たっていたり、帰れなかったらどうしよう? と不安になる、不思議でユーモラスで少し怖い物語が好きな子どもでした。


――「書店」「カフェ」「文具店」は、欧米で大きな成功を収めた多くの日本の大人向け小説の題材になっています。たとえば、『森崎書店の日々』八木沢里志・著(小学館)、『書店ガール』碧野圭・著(PHP研究所)や、『椿ノ恋文』小川糸・著(幻冬舎)、『コーヒーが冷めないうちに』川口俊和・著(サンマーク出版)なども思い浮かびます。『雨ふる本屋』も、書店を題材にした作品ですが、なぜ小説のために書店を選んだのでしょうか?



 子どものころ、自分で行ける場所には書店も図書館もなかったのです。唯一あったのは学校の図書室で、ジュール・ヴェルヌの『海底二万マイル』やチャールズ・ディケンズの『オリバー・ツイスト』などを借りて読んでいました。ですが、図書室へ入っていい時間は限られており、そのうえわたしはあまり学校が好きな子どもではありませんでした。新しい本を手に入れるには隣町まで行かなければなりませんでしたが、子どもだけで町から出ることを学校で禁じられていましたし、徒歩で行ける距離ではありませんでした。ですので、本がたくさんある、とびきり素晴らしいものがたくさんある場所、書店や図書館はずっと憧れの場所でした。『雨ふる本屋』は、自分の好きな色の絵の具ばかり使って描いた絵のような物語ですが、自然と憧れの場所が舞台になりました。


――『雨ふる本屋』の中で他の日本人作家の作品に共通するもう一つの要素は、「月の力」です。特に村上春樹の夢のような並行世界のことを連想しました。たとえば、『1Q84』(新潮社)には2つの月があり、『おやすみ、東京』吉田篤弘・著(角川春樹事務所)にもその要素が見られます。そうした本の影響はありますでしょうか?



 月に関して影響を受けた作品は、多すぎて絞ることができません。ジョージ・マクドナルドの『リリス』、またケルトの妖精物語を、『雨ふる本屋』執筆当時よく読んでいました。『竹取物語』も月の住人の物語ですし、モーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』『まよなかのだいどころ』やマーガレット・ワイズ・ブラウンの『おやすみなさいおつきさま』などの絵本、『ドラえもん』の劇場版や『セーラームーン』、『ウォレスとグルミット』などの漫画・アニメ作品や数えきれない歌や映画にも、月が重要なモチーフとして登場します。また、秋の月に豊作の感謝をこめて団子を供えるという風習が、いまも形を変えつつ残っています。神話の時代からの心の拠り所であり、ファンタジーやSFの舞台であり、宇宙開発の対象であり、大昔から多くの人の想像力の源泉なのではないでしょうか。


――日向さんは日本児童文学者協会の会員でもありますが、この協会ではどんな活動をされているのでしょうか?



 さまざまな児童文学の書き手による詩や短編、エッセイ、創作時評の載った雑誌が定期的に発行されています。会員が集っての合評会や講演会も開催されています。わたしはオンラインで参加したのですが、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんの講演がたいへん印象的でした。戦争で傷を負ったシリアの子ども達からのメッセージや、東日本大震災の被災地のお話を聞かせてくださいました。わたしは第2次世界大戦のあと、日本が戦争を放棄したあとに生まれ、「戦争も知らない腑抜けた世代」として育ちましたが、知るべきこと、伝えなければならないこと、語り継がねばならないことが、抱えきれないほどあるのだと、改めて思い知った気持ちがしています。


――次回作では何が起こるのでしょうか。シリーズの続巻や、他の執筆予定があれば教えていただけますでしょうか。



 『雨ふる本屋』のつづきの本では、ルウ子が妹のサラを連れて、すきまの世界でさまざまな冒険をします。書店を破壊してまわる骨の竜と出会ったり、世界を書きかえるペンを持つ少女と出会ったり、まぶたのない巨人に遭遇したり……ルウ子はわたしが書く物語の中で、一番大変な目に遭っている主人公に違いないと思っています。
 『雨ふる本屋』は、いま5冊の本が刊行されています。そのあとのお話に関しては、実はとても難しいご質問です。先の質問に雨が好きなのだとお答えしましたが、雨という気象の持つ意味合いが、現実にどんどん変わっています。『雨ふる本屋』を最初に発表した2008年当時、雨は田畑や草木、町に潤いをもたらす存在でした。しかしいま、雨による災害が毎年起きるのが当たり前になっています。毎年、雨の季節になると、誰かが家や財産を、土地を、命を失っています。それは地球上でずっと起こりつづけていたことで、とうとう自分の知り得る範囲に近づいてきたというだけなのかもしれません。それでも雨は災害になってしまいました。自由にファンタジーとして描くということを、とても難しく感じています。毎年、何も起こらないようにと願いますが、それが叶うことはなくなりました。
 『雨ふる本屋』の中に、穏やかな雨の思い出を残しておけたのかもしれない、とも思います。子ども達が、雨のやさしい一面を、この本でたくさん味わってくれたらと願います。
 読者さまからも「つづきを書いて」というお声をいただくのですが、いますぐ書いたら、多分にせものになってしまう気がしています。いつか雨という気象の意味が、ふたたび自分とつながるときが来るのを、いまは待っている最中です。
 ほかには、今年、小さな魔女がエネルギーをめぐって冒険する物語を発表しています。ファンタジーの形式を自分が暮らす地面に近づけること、またその伝統的な形式を引っくり返してみること。それがいま試みたいことです。

 




雨ふる本屋

単行本図書

雨ふる本屋

日向理恵子 作/吉田尚令

おつかいの帰り、ルウ子は、カタツムリにさそわれて“雨ふる本屋”へ。出迎えてくれたのは、摩訶不思議な本と、ドードー鳥の店主と助手の舞々子、そして妖精たち。ドードー鳥の店主が、ここにある本は、人間に忘れられた物語に、雨をかけてできあがるという……。
「物語」への、愛と信頼をこめたファンタジー。

  • 小学3・4年~
  • 2008年11月20日初版
  • 定価1,540円 (本体1,400円+税10%)
  • 立ち読み
  • 在庫僅少