2020.07.20

〈新刊図書〉戦争で親を失った子どもたちの思いを伝える『命のうた ~ぼくは路上で生きた 十歳の戦争孤児~』

今月刊行されたノンフィクション児童文学『命のうた ~ぼくは路上で生きた 十歳の戦争孤児~』をご紹介します。

1945年2月の神戸市。
小学3年生の清一郎の家は、とうちゃん、かあちゃん、清一郎の3人家族です。
家は、三ノ宮駅近くで花屋をしています。

清一郎が小学校にあがる前の年から、日本とアメリカの間で戦争がはじまりました。
学童疎開でクラスの多くの友だちがいなくなり、授業も防空ごう掘りや、避難訓練ばかり。
食料は自由に買えなくなり、食料の配給はだんだんと量がへって、遅れたり、なくなったりするようになりました。



1月にはとなりの明石市で、航空機工場が爆撃を受け、たくさんの人が亡くなりました。
清一郎の家では、空襲警報がなると、おしいれの下に掘った穴にもぐることにしていました。
穴はせまくて、体をちぢめて座るのが精いっぱいです。
夜中に何度も警報がなるので、いつも寝不足でした。

そして訪れた3月16日の夜。空襲警報のサイレンが鳴り、警報を知らせる鐘が鳴りました。
そして、爆撃機29の編隊が神戸の街に焼夷弾を投下してーーー。




埼玉県秩父郡で34年間、中学校の先生をしていた山田清一郎さんには、決して忘れられず、長い間だれにも話せなかった過去があります。

それは、自分が10歳で親をなくし、路上で暮らす戦争孤児だったこと。


第二次世界大戦後、日本全国には山田さんのような戦争孤児が12万人以上いたといわれています。

守ってもらえず、飢えや病気など様々な原因で人知れず死んでいった者も多いという戦争孤児たち。
生きのびて大人になってからも就職や結婚で差別にあうのをおそれて、過去をだれにもうちあけられずに生きていくことを選ぶのです。

 しかし「とても人に語れる過去ではない。話したくはない。でも今話さなければ、いったいだれが、仲間たちの声なき声を伝えるのか……」その思いから、山田さんは退職後、自身の体験を少しずつ語るようになりました。

本書は、著者・竹内早希子さんが山田さんの体験談を元に、10歳の男の子・清一郎が空襲で家族を失い、戦後の時代を生き抜いていったか、子どもたちが読みやすい物語の形に再構成したノンフィクションです。

住む所もなく「もらう・拾う・盗む」しか生きる方法がない日々の中で、病気や事故で命を落としていった仲間たち。
どうやって食べ物を手に入れるかだけを考えているうちに、孤児たちは、自分の本当の名前や住所、学校に通っていたことなど、自分が自分であることを忘れそうになったといいます。

清一郎は、三ノ宮から、茨城、上野へと、家のない孤児としてつらい生活を送りますが、長野県の孤児施設・恵愛学園で、優しい保育士や孤児の仲間たちと暮らすうちに、次第に家族のようなつながりと、人間らしい暮らしを取り戻していきます。

著者・竹内さんは偶然知り合ったホームレスの男性が山田さんと同じ戦争孤児だったことを知り「戦争は今なお、私たちのくらしている場所のすぐそばで、続いている」と語っています。

終戦から75年となる今年。戦争で親を失った子どもたちが過ごした日々と、その思いはどのようなものだったのか、改めて子どもたちとともに読み、考えたい1冊です。

227頁/小学校5・6年生から
(竹内早希子 著/石井勉 絵)
命のうた ~ぼくは路上で生きた  十歳の戦争孤児~

単行本図書

命のうた ~ぼくは路上で生きた 十歳の戦争孤児~

竹内早希子 著/石井勉

10歳のときに神戸空襲で親をなくした山田清一郎さんの半生を中心に、一緒に路上で生きた戦争孤児の仲間たちの声なき声をすくい上げる、渾身のノンフィクション。第二次世界大戦後、日本全国に12万人以上いた戦争孤児たちの声が、あなたには届いただろうか。どうして彼らは野良犬と呼ばれ、つらく悲しい体験をしなければならなかったのか。なぜ、大人たちは助けてくれなかったのか。戦後75年目に問う作品。

  • 小学5・6年~
  • 2020年7月3日初版
  • 定価1,540円 (本体1,400円+税10%)
  • 立ち読み