古田足日プロフィール
1927年
11月29日、愛媛県宇摩郡川之江町(現・川之江市)で、生まれる。
足日は本名。命名したのは父で、古事記に由来する。川之江尋常高等小学校、愛媛県立三島中学校(旧制)へ。中学4年生の時に学徒勤労動員で倉絹(倉敷レーヨン)などで働く。
1945年
大阪外事専門学校ロシア語科(現・大阪外語大学)へ入学。
 
アジア・太平洋戦争(第2次世界大戦)敗戦
1949年
早稲田大学露文科2年に編入するも、すぐに休学。宇摩郡金砂村立金砂中学校久保ヶ市分校の代用教員となる。
1950年
『ちきりが淵』を書き、「少女クラブ」8月号(講談社)に掲載される。はじめて原稿料をもらう。
1951年
早稲田大学露文科に復学、現代文学研究会に入る。
同時に早大童話会に入り、鳥越信、神宮輝夫、山中恒、鈴木実、小桧山奮男らを知る。童話会の先輩に、岡本良雄、前川康男、今西祐行、大石真、竹崎有斐、寺村輝夫などがいた。後輩に、三田村信行、小沢正、後藤竜二、川北亮司らがいる。
1953年
早大童話会機関誌「童苑」第19号を「少年文学」と改題し、その巻頭に『「少年文学」の旗の下に!』と題する、〈少年文学宣言〉を発表。
1954年
小さい仲間の会を結成。同人誌「小さい仲間」を創刊。
1959年
第一次評論集『現代児童文学論』を出版。
この年を、戦後日本児童文学の「童話」と「小説」のわかれめの年であると考える。
1964年
雑誌「教育研究」で、『進め!ぼくらの海ぞく旗』の連載を始める。翌年2月号で完結(全13回)。
後に『宿題ひきうけ株式会社』と改題して刊行。
1966年
『宿題ひきうけ株式会社』刊行。
1967年
雑誌「幼児と保育」(小学館)6月号増刊に『ロボット・カミイ』の原型を発表。
1968年
『モグラ原っぱのなかまたち』刊行。
1970年
『ロボット・カミイ』刊行。
『大きい1年生と小さな2年生』刊行。
『海賊島探検株式会社』刊行。
1971年
紙芝居『ロボット・カミイ』シリーズ(全4巻)
刊行開始(1971~1974年刊行)。
1974年
『おしいれのぼうけん』刊行。
1978年
『ダンプえんちょうやっつけた』刊行。
『月の上のガラスの町』刊行。
1980年
『さくらんぼクラブにクロがきた』刊行。
1993年
「全集 古田足日子どもの本」(全13巻・別巻1)を出版。
1997年
日本児童文学者協会会長に就任。
2002年
『ひみつのやくそく』刊行。
2004年
戦争体験集「わたしたちのアジア・太平洋戦争」(全3巻)を米田佐代子、西山利佳と共に刊行。
2011年
『現代児童文学を問い続けて』刊行。
2014年
6月、東京・東久留米の自宅で、心不全のため亡くなる。