スペシャルインタビュー

著者、森越智子さんに聞く、
生きる 劉連仁(りゅうりぇんれん)の物語

著者 森越智子さん

生きる 劉連仁(りゅうりぇんれん)の物語』(森越智子 著/谷口広樹 絵)が、2016年度、第62回青少年読書感想文全国コンクール課題図書・中学校の部に選ばれました。
この本は、太平洋戦争中、中国で日本軍により連れ去られ、北海道の炭坑での過酷な強制労働から逃亡し北海道の山中を13年間生きぬいた劉連仁さんの実話を基に描かれた一冊です。著者の森越智子さんに、お話をうかがいました。

『生きる 劉連仁(りゅうりぇんれん)の物語』(チョン・シューフェン さく/中 由美子 やく)
(森越智子 著/谷口広樹 絵)

−この本を執筆されたきっかけを教えてください。

ひとつは、茨木のり子さんの長編詩『りゅうりぇんれんの物語』(* 註)です。
劉さんの体験を聞き書きした本を読んだ詩人の茨木のり子さんが、この事実を次の世代に伝えようと、今からちょうど51年前に発表した詩です。
編集のHさんから劉連仁さんを紹介する本の執筆についてのお話があって、その時にこの詩を紹介され、衝撃を受けました。
茨木さんの詩はすばらしいものですが、子どもたちにもっとわかりやすく、戦争がどんなものであるかを私なりに伝えたいと思いました。
また、茨木さんがこの詩を発表した当時は、まだ劉さんの体験した強制連行が本当にあったという証拠を示す事ができませんでしたが、今ならその後発見された確かな歴史的な資料を示して、次世代に届けることができます。それが茨木さんから渡されたバトンを受け取った私の役目ではないかと思ったのです。

そもそも戦争というものは、本当は傷つけられるだけでなく、誰かを傷つけることでもあるのですが、日本では自分たちが戦争で受けた被害の歴史に比べ、傷つけた加害の歴史については十分に伝えられていません。
例えば、ドイツのナチスがユダヤの人たちに対してアウシュビッツで行ったことは知っていますが、自分たちが他国の人に行った加害の歴史についてはよく知りません。
劉さんたちが体験した日本による中国人の強制労働もその一つであり、私自身もそうした歴史を十分には知りませんでした。
日本の未来を担う次の世代に、そうした歴史や事実をきちんと伝えなければという思いでお引き受けしました。

もうひとつは、劉さんが連れてこられ、13年間さまよったのが北海道だったことがあります。
私は生まれも育ちも北海道ですから、半年以上冬になる北海道で、生き延びたつらさと厳しさは、他の土地にお住まいの方よりは伝える事が出来るのではないかという思いがありました。
その北海道の冬の厳しさを知っているだけに、家も暖もなく生き抜いた劉さんの強さは何だったのか、私自身も知りたかったし、伝えたかったんです。

−この本のエピローグでも、劉さんの足どりを追った北海道の雨竜郡沼田町から石狩郡当別町までの取材の様子が紹介されています。
現地を取材されどんなことを感じましたか?

劉さんが実際に連行された時期である11月の初めにあわせて取材に行きました。
北海道はとても広いですから、南と北では気候も全くちがいます。劉さんが連れてこられた沼田町は北海道の中でもとりわけ雪の多い豪雪地域です。
今私の住んでいる函館では降った雪が融けずにそのまま積もって根雪になるのは、例年12月のクリスマスくらいですが、沼田町では11月のはじめから融けずに根雪になる地域なんだということが、行って初めてわかりました。その場に立ち、私自身も体験したことで、その時の劉さんの気持ちをより理解できたように思います。

また、劉さんの故郷である、中国山東省高密市草泊村にも訪ねる機会に恵まれました。
日本中国友好協会の方々が、16年ぶりに劉さんのお墓参りを行うということを偶然知って、すぐに連絡を取ったところ、快く同行を許可して頂けたのです。
劉さんがどんな所で生まれ育ってきたのか、その風景を見て、その土地の空気を肌で感じることができてよかったですが、何より劉さんが連行された距離がどんなに長かったかを実感できました。
故郷の草泊村から高密まで30キロ以上を歩かされ、汽車で青島、青島から貨物船で日本へ連行されたその時の劉さんと違って、私たちは飛行機と高速バスの旅でしたが、それでも本当に遠い道のりで、劉さんはどれほど不安だったろうと想像すると、胸が苦しくなりました。

図2 中国から日本へ連行の軌跡

−児童書として執筆される上で意識したことはありましたでしょうか?

なぜこうしたことが起こってしまったのか、時代背景も含めてわかりやすく子どもたちに伝えたいと思いました。
また、後半のエピローグでは、劉さんの身に起きた出来事が、私たちの今生きている社会とどうつながっているのか、「昔そんな悲惨なことがあった」という知識だけで終わってほしくない、過去を通して今の社会を見つめ直してみる目をもってほしいという思いをこめています。
子どもたちはいつまでも子どものままではなく、必ず私たちの未来を担う、社会を作る人たちになっていきます。だからこそ、過去から学んだことをよりよい社会を作っていくために生かして欲しいのです。
悲惨な過去について「かわいそう」と思う気持ちから、さらに進んだもう一歩を、子どもたちに届けられたらという思いがあります。

−劉さんとは違いますが、今の日本でも、貧困や、人間を消耗品のように働かされるブラックバイト・ブラック企業といった社会問題、子どもたちの間にもいじめや「学校カースト」といった問題もあり、厳しい状況にある子どもたちもいます。
この本を読んだ子どもたちに、どんなことを感じてほしいでしょうか?

これを読んで子どもたちに「あなたも強く生きぬくのよ」とは、単純に言いたくはないんですね。子どもたちに「強くなれ」と押し付けてしまうのはなんだか少しだけ違うように思えて。
ただ思うのは、例えば戦時中、本当は無事に帰ってきてほしいと思う気持ちを「お国のため」という言葉の前でみんなが押し殺してきましたよね。
大きな力や大義の前に、本当の気持ちを封じこめ、あるいは封じ込めさせられてきた、そういうことが実は人間としての幸せやその人の人生を壊してしまった気がするのです。それは、自分の命も人の命も大事にしないことにつながることになるのではと思えるのです。
だから、できるならどんな時も「本当の気持ち」から出発して考えることを大切にしてほしいのです。
まさに、劉さんが、長い困難の中で劉さん自らを支えていたものは、自分が望んでいないことの犠牲には絶対になりたくない、少しでも自分らしく生きたいという気持ちだったのではないでしょうか。そうして生き抜いた劉さんの姿を通して、世界にたった一つしかない自分の貴い命とむきあうこと、生きるということの意味を考えてもらえたらと願っています。
どんな中にあっても、投げ出さないで、ごまかさないで、自分の命とむきあって自分の生き方をみつけてほしいと思います。

−ありがとうございました。

森越智子(もりこしともこ)
北海道小樽市生まれ。北方文藝編集部勤務を経て、2001年に子どもの権利条約の普及を目的とする市民グループ「子どもの権利ネットワーク南北海道」を設立。以来「子どもの権利」の視点で北海道道南地域を拠点に活動する。『転校生はおばあちゃん!?』が2002年度「人権に関するシネストーリー」(財団法人人権教育啓発推進センター主催)最優秀賞を受賞。同作品は2005年人権啓発ビデオとして映像化され、文部科学省特選に選定された。函館市在住。著書に『いつかカッコウのように』(新風舎)。
日本児童文学者協会会員。日本ペンクラブ会員。「季節風」同人。

* 註 詩集『鎮魂歌』(2001年童話屋・新装版/1965年思潮社)に所収。
『茨木のり子詩集』(谷川俊太郎編2014年岩波文庫)にも掲載されている

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